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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2011年06月29日

旅立ちの時

6月29日
さて、いよいよ旅立ちの時が刻一刻と近づいて来ています。
私たち夫婦は明日、30日にバンクーバーへ出発します。
日本にいる間支えてくださった皆様には本当に感謝いたします。

カナダのバンクーバーにある英会話学校が被災者を受け入れてくれるということで、
そちらの方にお世話になりながら、新たな出発です。
今回の震災では、日本中だけでなく、世界の各地から支援の手を差し伸べてくださった皆様にも本当に感謝いたします。

私たちを心配してくださっている皆さん。
私たちはもう大丈夫。
元気に第2の人生を楽しんでいます。
無念に命を落としていった方々の分まで何倍も人生を楽しみます。

今後の生活の様子は、引き続き、ご覧のページでも紹介するかとも思っていますが、もしかすると新しいブログを立ち上げるかもしれません。いずれにせよ、皆さんの目に留まるように工夫したいと思います。
そして、新しい場所に移っても、自分の使命である、避難の重要性、防災に強い街づくりを訴えていくことは変わりありません。  


Posted by タンゴダンサー at 09:27Comments(5)麻布十番

2011年06月23日

花巻温泉バラ園好評開催中!

6月23日
雨だったからどうしようか迷ったけど、行ってみよう!花巻温泉バラ園

花巻温泉、久しぶりだったけど、こんなに立派なところだっけ?
国際的感覚に優れていて、外国人に人気出そうなホテル。

庭園素晴らしい!ロビーも今風。
お風呂はずば抜けて素晴らしいわけではないけど、露天風呂のつくりなど
やはり、平均点以上。

お風呂の温度が熱めなんだけど、その割には長く入っていられるのは湯質のおかげかしら?
露天風呂の自然な感じのところや外国人うけしそうな作りも合格。

贅沢かなーと思ったけど、ついついざるそば3人で注文。
あまり期待してなかったのに、お蕎麦本格的に旨いよ。
高いだけ十分ある美味しさに満足。
のっこちゃんはバラ風呂に入ってさらにご機嫌。
ヒノキ露天風呂も香りが良かった。

とってもあったまる温泉。いつまでも汗が引かないよ。
お母さんはロビーで『みんなでチャチャチャ』見ながら待っている。
松田さん、うちの母に美味しいコーヒー有難う。
出来る男は違うね。  


Posted by タンゴダンサー at 20:25Comments(1)花巻温泉

2011年06月22日

旅立ちです

6月22日
いよいよ旅立ちの日。ここに居る間、家族のように暮らしてきたお父さん、お母さんに達に
はなむけの言葉を頂き、
なんか、やっぱり、ぐっときました。

愛真館のスタッフの皆さんにも沢山の心遣いを頂き、本当に有難うございます。
私たちはもう、大丈夫。

新しい人生をスタートします。  


Posted by タンゴダンサー at 19:19Comments(0)愛真館

2011年06月21日

愛真館滞在も今日が最終日

6月21日
思い起こせばここへ来たのは4月15日。夢見てやって来たこの温泉避難所は
本当に夢のような場所でした。

ここに居る間、毎日が幸せで、あまりに幸せ過ぎて、世の中にはこんなに苦しんでいる人たちが
沢山いる中で、自分たちだけこうして幸せな暮らしをしていていいのだろうか?

自問することはあっても、どうしてもそれに対する答えが見いだせないまま、
どっぷりと幸せに浸かってしまう毎日でした。

その生活も今日が最終日。苦しい時間は長かったけど、幸せな時間はあっという間。
ここでのゆったりとした、何も考えなくていい時間の中で、ゆっくりと未来の自分について
考えることが出来ました。

ここに居る愛真館の皆さんの心遣い、こういう避難所を設けてくださった岩手県の職員の方々には本当に感謝いたします。

今ではまるで、外から帰ってくると本当の自分の家のように感じられ、一緒に避難されている方々とも家族のような付き合いになり、ここを離れるのはとても寂しい感じがします。

こういう避難生活が是か非か、という答えは、結局最後まで出すことはできませんでしたが、
ここでの生活は自分たちにとって大切にしたい貴重な経験であることは間違いありません。

今後は新たな地で、自分たちの生活を立て直し、いつか世界のどこかで恩返しできることがあれば
是非、お役にたちたいと思います。まずは避難行動の啓発活動。そして災害に強い新しい街づくりの提案。
この2つが自分に与えられた使命だと感じています。何処の地へ移り住んでもこのことを実践します。

自分たちにとっては、毎日のお風呂と、2カ月以上の長い期間、限られた予算の中で毎日3食を
まったく飽きさせることなく、作っていただいた食事がとても大切な時間で、毎日とても楽しみで、生きる力を与えていただきました。

今後は、7月から愛真館の一般開放を心待ちにしていらっしゃるお客様が沢山いらっしゃるとは思いますが、愛真館のおもてなしの心で、いつまでも末永く繁盛していかれることを願っています。
そして今度は、いつか「お客さん」としてここに泊まれるようであれば、これほどの幸せはありません。  


Posted by タンゴダンサー at 15:15Comments(0)愛真館

2011年06月20日

ミスユニバース・ジャパン

6月20日
盛岡らしい暑さになって来た。出発は22日の予定。ここに居るのもあと2日。
そしたら縄文の湯とも、夢枕の湯ともお別れ。
ミスユニバースジャパンてどんどん変な方向に向いてない?
最終選考に残った15人にまるで魅力を感じられなかったのは俺だけだろうか?

今朝の朝刊を見て絶句!今後は歴史的に過去の震災も考慮に入れて、
考えられる最大レベルの被害に備えるということ。

今までそうしてなかったの?どうして?
震災の度にテレビに出てくるなんとか地震研究所の人たちは、そういうことを研究しているんじゃないの?
今回のことは天災だから仕方ないと思っていたけど、なにかやりきれないものを感じる。
だって、そういう人たちは俺たちの知らない深い知識を持っていて、俺たちの考えも及ばない
はるか広大な彼方まで研究していると思いたいじゃない。

それがテレビに出てくる度に誰にも分かりきったようなことしか言わなくて、
さらにそのコメントについて驚嘆したようなことを言うアナウンサーがまるでガッカリ。

最近、実はひそかに気になりだしているのが、魚。
だって福島や茨城の魚の事しかやらないけど、魚って回遊するんだよ。今、旬のタナゴ、マアジ、
7月に入ると、サバ。宮古では定置にマダイが豊漁だって言うけど・・
宮城や岩手の魚は大丈夫なの?
特に岩手は今、網がほとんど入らないから、いろんな魚がものすごくよく釣れているんだけど、
ちょっと心配。県も、国もマスコミもそこには触れちゃいけないような感じで、
話題に出さないけど。ほんとのとこどうなんだろ?
生の魚を食わないではいられない俺はとても心配。
  


Posted by タンゴダンサー at 09:56Comments(0)愛真館

2011年06月18日

義援金入ってました!

6月18日
昨日郵便局で記帳したら義援金入ってました!50万円。
ありがとうございます!
大切に使わせて頂きます。
国からの生活支援金もなるべく早めにお願いします!

陸前高田市の仮庁舎良い場所に建ってましたね。
ここなら、仮じゃなくてこのままこの建物でいいんじゃないですか。

高田松原海岸の仮防潮堤なんであの場所なの?
ちゃんと考えた?地盤が不安定なところに、津波じゃなくても台風で壊れそう。
どうして海の中?どうして3.5m?
なんでそんなに慌てて、8億円もかけて中途半端なもの作るんだろ?
全然順番が逆のような気がする。
まずは住民の生活圏をしっかり決めてから、防潮堤は余裕が出来てからでいいよ。
消防職員だって、毎日疲れているようだし、もっとしっかりした建物作ってあげればいいのに。
あれじゃあ、可哀そう。
それから、どうして復興計画11月まで掛かるの?
リーダーシップのある自治体は独自のアイデアで復興計画建てて、
国にお願いしてるよ。

国や県の動きを待っているんじゃなくて、独自のアイデアをどんどん出して、
新しい街づくりしていかないと。まずはアイデアだよ。  


Posted by タンゴダンサー at 19:56Comments(0)愛真館

2011年06月15日

愛真館ロングステイも丁度2カ月になりました。

6月15日
ここへ来たのが4月15日だからとうとう2カ月が経ちました。
思えばあっという間の2カ月。楽しい時間は過ぎるのが速いです。
愛真館の皆さんには本当に良くしてもらっているし、
最近は、外から帰ってくるとまるで自分の家のように感じられるようになったのに、もうすぐここを去るのがとても寂しい。

その後も足は順調で、どんどん良くなっています。
安心して治療に専念できたのは、国や県や皆様のおかげです。
本当に感謝いたします。
ここでゆっくりと、不安を抱えずに過ごすことが出来たおかげで、
将来に向けての新しい一歩を踏み出すことが出来そうです。

今後、生活を立て直して、今回の受けた御恩を世界の誰かにお返しすることが出来るように、
今後の人生を楽しんで生きます。  


Posted by タンゴダンサー at 16:15Comments(0)愛真館

2011年06月14日

上野の美容室

6月14日
「幸せだなあ」
最近は心からそう思える。二人で一緒に居るということがこの上なく幸せなことに感じる。

愛真館は急に人が減ってきました。仮設住宅が決まって釜石に帰る人も居るが、この周辺にアパートを借りて住む人、県外の親類に身を寄せる人が多いように感じる。
しかしこの結果は、この内陸に移動した時点ですでに決まっていたのかもしれない。
沿岸に住む高齢者にとって、「内陸に住む」ということは、もはや二度と故郷には帰らない覚悟がいるように感じるのかも。それほど高齢者は変化を嫌う。だからこそ若者のように、2~3か月観光気分でゆったりと過ごすということが難しいのだ。

だから県職員がいくら、「どうです?温泉で2カ月ぐらいゆっくりしたら」
なんて言われても、それはせっかく自分が生活してきた権利みたいなものが奪われるような気持ちになるのでは。

またざんが義援金が振り込まれていたって言ってた。
なんの通知もなくて、何気なく記帳したら、50万円。これは市の義捐金の方だね。
国からの支援金はまだ。3か月経ちましたが・・・・
そう聞いて俺も記帳したけど、まだ入ってなかった。

やっぱ、市役所に直接行ったから早いのかな。
今日は上野の美容室さんが応援に来てくれました。2か月前にも愛真館に来てくれたそうです。
ヘッドマッサージがすっごく気持ちよかった。
大鎚の方にも行きたいんだけど、許可が下りないんだって。
おかしい話だね。何を守りたいんだろ?

  


Posted by タンゴダンサー at 13:48Comments(1)愛真館

2011年06月13日

台湾佛教慈濟慈善事業基金会

6月13日
今日は、先日10日に支援金を頂いた『台湾佛教慈濟慈善事業基金会』の大愛テレビの取材です。
愛真館に朝9時に集合。すぐに陸前高田市に向かいます。
震災当日の様子から、最近の生活、今後の生活まで。
まずは、震災当日最初に避難場所となった陸前高田市の高田第一中学校。

津波に流された当日のことを思い出しながら、うちのアパートは?ああ、あの辺りかな。

泳いで流れ着いた後、急いでこの崖を登ったんだ。足が立たないから、這うようにしてね。
こんな急な坂よく上ったなあ。必死だったからね。今はもう登れないよ。

その後、この急で厳しい斜面を一体、何処をどうやって登って来たのか。震災以来3か月ぶりにあの急斜面に行ってみよう。
うん、ここだ。間違いない。
あの日、無我夢中でここを這い上がって来た。

イバラのトゲが酷くてね。顔や腕が傷だらけになったっけ。
こんな坂よく登ったなあ。

大船渡へ行って仮設住宅に住む父親に3か月ぶりに会うことが出来ました。

震災から3か月経ちましたが、『台湾佛教慈濟慈善事業基金会』の皆さんの慈善活動はまだまだ
続きます。今後は陸前高田市に行って避難訓練の様子を撮影したり、
学校給食を造ったり、それから学校も造ってあげたいと言ってました。

日本の報道にも、『台湾佛教慈濟慈善事業基金会』のこの素晴らしい活動を是非、積極的に
報道してもらいたい。

なんとかの芸能人の炊き出しはよく放送するのに、
海外からの支援は報道が控えめ?

単に外国語が苦手で控えているならいいが、なにやら裏のものを感じてしまう。

呉さん、林さん、すずさん、黄さん。
今日は1日お疲れ様でした。とても楽しい1日でした。またいつか、どこかでお会いしましょう。
  


Posted by タンゴダンサー at 22:04Comments(1)陸前高田市

2011年06月12日

ネパールからの支援隊

6月12日
震災当日以来の陸前高田市見てきました。
やっぱすごかった。あのガレキは3~5年じゃ無くならないでしょ。
無理無理。到底むり。
陸前高田市の戸羽市長が県の復興計画に待ったかけた気持ち分かるわー。
見ているだけで途方に暮れる。一体何から手を付ければいいのか。
出来ることなら見なかったことにしたい。
だってあの塊、何処にどう移すの?
取りあえず、よけるのは人手と重機があれば出来るよ。でも、何処へどうやって運ぶの?

それからあの腐った魚ね。うわー、あれ海に捨てちゃうんでしょ。
国際法違反だって言うけど、日本政府が許可したって。非常事態だと許されるのかな?

今日はネパールDAY
まずヨガをやって、

お昼はカレー。この人たちは気仙沼のカレー屋『イエティ』のトラチャンとミナさんご夫婦の事も
知っていて、現在夫妻共に元気に高田馬場に居るそうです。

ああ、ネパールのカレー久しぶり。震災以来ずっと食べたかったんだ。

このカレーもすっごく旨い!トラチャンのカレーとも味が違うんだけど、
やっぱネパールのカレー旨いわー。できれば次回はナンもあったらいいな。
  


Posted by タンゴダンサー at 16:17Comments(1)愛真館

2011年06月10日

台湾佛教慈済基金会の被災者緊急生活支援

6月10日
『台湾佛教慈済基金会』という耳慣れない組織が、今現在も世界中の到る所で慈済活動を行っていることを知っている人は日本人は稀であろう。

しかし、東日本大震災の起こった3.11、誰よりもいち早く被災地の救済に向かったのは、日本政府でも、地方自治体でもなく、『台湾佛教慈済基金会』であったことは、紛れもない事実である。
そしてその活動は、北は岩手から、南は東京まで、今日も絶えることなく続いている。
彼らの活動は、組織的な機動力を展開したぎょうぎょうしいものではない。まるで個々のボランティア活動員が集まったかのような静かな活動、しかし、その慈済精神は個々の構成員の心に脈々と受け継がれ、被災者の心の傷を癒してゆく。

津波に流されて以来、3か月ぶりの陸前高田市。
このあたりに車が流されているかも、と勧められた場所を探すも、

すぐにギブアップ!その後、住んでいた場所を見つける。
あった、あった。

あの日は、ここら辺でこんな風に泳いでいたっけ?
モビリアに向かいます。
わー、やっぱり沢山並んでいる。

でも、思ったより早く済みました。3時間くらい並ぶ覚悟で来たけど、
実際待ったのは20分程度。

慈済の皆さん、お見舞金頂きました。本当に有難うございます。大切に使わせて頂きます。
お見舞い金に関しても、一番早かったのは、国でも、お世話になっていた市でもなく、
『台湾佛教慈済基金会』が一番最初でした。

国にも被災者の気持ちが分かる人が居れば、国会で議論する以前に、一時見舞金5万円でもいいから、1日でも早く被災者に届けようって気になるのでしょうが、そのような日本政府ではありません。残念!

證厳上人によろしくお伝えください。
今回は台湾大愛テレビの取材も入っていましたが、本番は13日。

最後に
證厳上人のことばから

大変な時代では是と非を明確にしなければならない

大災害が起きた時は大慈悲心を養う必要がある

大きな無明には大きな智恵が要る

動乱の時期には懺悔しなければならない

短文ですが、的確にずっしりと重く胸に響く言葉です。
私は特に最後の文が強く響きました。
今回の震災は天災ですが、人間の方に自然に対して驕っていた、間違ったところがあったのを
仏様が「やり直しなさい」と言っているような気がしてなりません。

  


Posted by タンゴダンサー at 21:37Comments(5)陸前高田市

2011年06月09日

正座出来ました。

6月9日
これ、どう?
救援物資で頂いた組み合わせ。盛岡もとうとう夏に入りました。
もう短パンTシャツじゃないと暑くてね。

結構気に入ってるんだけど。

今日が、いちお通院最終日の予定。
みてみて!正座が出来るよ。手術から3か月、リハビリ開始から2カ月は早い方なんじゃないの?

そうでもないのか。最初から2カ月って言われてたもの。
でも、正座は出来なくなるかもって言われてたから。
これもすべて皆様のおかげです。特になんにも気にせずに治療に専念させてもらえた愛真館さんには
感謝です。あと、国にも感謝。経済的負担が一切なかったのは本当に有難いことです。

今日は愛真館さん、日中は停電だから、のっこちゃんはまた申請やら手続きやらで忙しい。

そろそろ次の居場所が決まりそうかな?
一体、何処になるんだろ?楽しみ。
でも、第2次の義捐金が来るというような話も出てきて、どうなるんだろ?

つなぎ温泉病院通院最終日行ってきました。
蹴り上げ力:左22kg、右20kg(通院開始時は右は7kg)
太ももは左右共に通院開始時より2cm増えてました。
今後は日常生活の中でさらに筋力を増やして徐々に元に戻していきたいと思います。  


Posted by タンゴダンサー at 11:30Comments(1)愛真館

2011年06月08日

幸せのクローバー

6月8日
外出から家(ホテル)に戻ったら、留守中に訪問客があったようで伝言と小花が届けられていた。

「今日うちの庭で草むしりをしていたら、これを見つけたので届けに来ました」

なんと!これを届けるためにわざわざ?
最近人の心の温かさが身に染みて・・

身に染みて、と言えば。
最近津波に流された写真が戻ってきた話したでしょ。
それで、例の3.11HELPにアルバムをお願いしたら、すぐに来ました。

支援者の方、メッセージ入りのアルバム大切に使わせて頂きます。
午後は早速写真の整理。
結構な枚数なんだよね。これが。俺に再び3.11以前の過去が出来た。

今朝、新聞で読んだら、高田松原海岸の防潮堤、5,5mしかなかったんだね。
俺の勘違い。8mくらいあるかと思ってた。
それで、どうして5,5mに決めたかと言うと、チリ地震津波の陸前高田市での津波の高さが5,2mだったんだって。それで5,5m。前回の教訓を生かして30cm高くしたというんだ。
どう思う?

今回の震災は、大船渡の吉浜のように、以前の震災の教訓を踏まえ、しっかりとしたリーダーシップを取った人が居たおかげで一人の犠牲者も出さず、しかも全壊の家がわずかに新たに住んだ2世帯のみだったような場所がある一方で、陸前高田市のような全くの無謀な街づくりをしていた場所もある。

岩手県の防災計画がやっと最近になって出来上がってきたようだ。出来上がったようだが、その内容は住宅の高台移転など、当然のものばかりで、もう一つの重要な柱、産業の復興については、まるであたかも震災以前の状態に戻すのが復興であるかのような内容で、創造性に欠ける。
アイデアの無いトップはいい加減政治の座から退いてもらいたい。

そうした中で「吉里吉里国」の動きは最近になく、独創的なアイデアで今後に向けての頼もしい感じがした。
いっそ、井上ひさし著の『吉里吉里人』の中でのように、国や県から独立して独自のアイデアで特殊な街づくりをしていくことが魅力的に感じる。吉里吉里国内の電力はすべて、国内にめぐらしたソーラーパネルからの電力で賄い、他には一切頼らない。何もなく、真っ新になった街だからこそ始められる構想ではないか。いっそ、入国の際には関税を取ったらいい。エコ先進国のモデルとして世界中から観光客が訪れるような街にしてほしい。  


Posted by タンゴダンサー at 20:21Comments(0)愛真館

2011年06月07日

震災後初釣行

6月7日
仕事ってなんだっけ?最近はなんやかんやと忙しく、ゆったりと愛真館ライフを楽しめないでいる。
まあ、そろそろ次の居場所を決めないといけないから、仕方ない。

そんで今日は久々にサイクリングで雫石川のほとりへピクニック。
リハビリを兼ねたサイクリングは次第に筋力が増し、今日は途中一度も休まずにここまで来た。
9時出発で、約40分。

震災後初めての釣り。最後は3月3日。あの時はまだ寒かった。
今日は暑いよ。なんかもう夏だね。

釣れるかなんてどうでもいいんだ。川の音を聞いてるだけで癒される。

おっと釣れちゃったよ。魚居るんだねこの川。

幸せだねえ。自然と遊ぶのは本当に楽しいよ。久々のヤマメちゃん。
パーマーク綺麗でしょ。

おっと、もう11時すぎちゃった。急いで帰らないとお昼ご飯に間に合わない。
釣りをしていると時間の経つのがあっという間だ。
気仙川で釣りしたいなあ。今なら物凄い釣れるだろうな。  


Posted by タンゴダンサー at 21:21Comments(0)愛真館

2011年06月05日

ドキドキの夜遊び&お泊り

6月5日
昨日は大通り肴町商店街のミスタードーナツ前で午後6時に待ち合わせ。
午後一番のバスで愛真館を出て、盛岡駅に到着。久々の盛岡大通りを寄り道しながら5分前に
待ち合わせ場所に到着。

待ち合わせの相手は大学の後輩の大介とその奥さん。大介は学生時代、共に芝居に打ち込んだ仲間だ。
まさか盛岡に居るとは。震災後に俺を探してくれたことがきっかけで知った。
お奨めの『ひさご』という店に連れて行かれる。
路地裏を奥に入った門構えは、一元の客を寄せ付けない雰囲気。入口でちょっとモジモジ。
俺たち夫婦なら決して入らない店だ。
小狭い店内の奥に通されると、嬉しいことに大介がすべてを手配してくれている様子で、
次々と料理と酒が並ぶ。店主は仙台の出だと言うが、俺には沖縄県人にしか見えない。いい感じに枯れている。
山の料理を中心とした展開で、ボタン鍋や山菜料理など、
俺には珍しい料理ばかり、夜遊びはやっぱり楽しい。
悔しいことに写真を消去してしまった。

おっちょこちいな俺にはよくあること。
中でも、ボタン鍋に入った稲庭うどんとソラマメを殻ごと焼いた料理が感動的だった。
日本酒は最近登場の地元の酒、『廣喜(ひろき)』
夜はそのまま大介の家に。

今朝の朝食は感動的。

俺のリクエスト通りに、震災前は日常だった理想の朝食を再現してくれた。
クロワッサンにカフェオレ、スクランブルした卵とオレンジジュース、季節のフルーツ。
日常がいかに幸せだったかを思い知らされる。

小鳥の声で目覚め、食卓で色とりどりの小鳥が舞う。ここは南国か?
ホテルではカフェオレが飲めないから、お代わりして飲み貯めする。

昼食はさらに嬉しいサプライズ。
なにか御馳走してくれるのかと思ったら、キッチンを自由に使っていいからなんでも食べたい料理を
作っていいよ、と言う。
料理好きなのっこちゃんにとって、これほど有難い心遣いがあろうか。
実際、被災してからののっこちゃんは料理がしたくてしたくて堪らなかった。
自分で料理ができることの幸せ。

これも被災して初めて分かった。
パエリャ、パスタ、カレー、ガスパチョ・・

しかし、実際カワトクで食材を見たら出来上がったメニューは2品。

海鮮丼に、毛ガニとホタテの稚貝のみそ汁。
被災直前に一番よく食べていた料理だ。ただし、以前なら食材は全部釣って来たが、今回のはカワトクで買ってきた。キングサーモン、真アジ、真鯛、ホタテ、カツオ。

なんて贅沢なんだろ。これは以前から思っていたが、やはり幸せだ。

俺は今幸せを噛みしめている。


  


Posted by タンゴダンサー at 20:12Comments(4)愛真館

2011年06月04日

毎日できることをやる

6月4日
朝、布団を上げた後、固く絞った雑巾で畳を拭く。板の間から玄関まで。
テーブルの上やテレビの後ろもしっかりふく。毎日拭いてるのにしっかり埃が積もっている。
窓から入ってくる朝の冷たい風がすがすがしい。

リハビリもかねて、毎日自分が出来ることをやる。
何もやらない亭主は捨てられるぞ!

今日は大介が地元で有名な日本酒の店に連れてってくれるというので久々盛岡市内に出かける予定。
すっごく楽しみ。どんなお店だろう。

テレビでも新聞でも菅首相おろしの報道でうんざりだ。日本のマスコミにはほんとに愛想が尽きる。  


Posted by タンゴダンサー at 08:21Comments(1)愛真館

2011年06月03日

支援物資続々

6月3日
親父の仮設が決まった。大中の仮設に決まったようだ。大人二人に4畳半2部屋ではちょっと狭いか。まあ、上等だ。悦朗も高田一中の仮設に決まったそうだ。周りはほとんど仮設が決まり、いよいよ新しい生活が始まろうとしている。
俺の方は相変わらずここで支援物資を受け、

今日、衣料の提供があるというから、県から丸投げされた『ドンドンアップ』の例の古着だなとおもっていたが、
まるっきりの新品だ。
しかし衣料はもう十分だろ。いい加減足ることを知らなければいけない。けど、やっぱり並んでみよう。

一人5点までと制限があったから二人で10点。
Tシャツや薄手のシャツなど、暑くなるこれから有難いんでないかい。綿のパンツもあった。
穴だらけのパンツずっと履いてたからやっと捨てられる。
  


Posted by タンゴダンサー at 21:58Comments(0)愛真館

2011年06月02日

写真到着

6月2日
またざんが写真を届けてくれた。津波で流された写真を悦朗が拾ってくれた。
俺の住んでいたアパート『ホメロス』の屋根が酒造会社『酔仙』付近に流されていて、その屋根の解体に立ち会ったらドサっと落ちてきたそうだ。付近で自分の写真を探していた悦朗が保管しておいてくれた。

自分の写真は全く見つからないのに、人の写真ばかり見つけるとぼやいている。
今日は愛真館の館内が午前10時から午後3時まで停電だからやることが無い。
丁度良いからこの写真の整理をしよう。
状態はかなり良い。アルバムのまま残ってるものが多く、表面のビニールは汚れてるが、写真はほとんど水に浸かっていないようだ。まるっきり綺麗な写真も多い。

しかし、間に挟まっている泥から舞い上がる埃で喉が痛い。
これだけでこんなに痛いんだから被災地に居る人はもっと痛い。
予想以上の量だ。何も無かった俺にまた財産が出来た。
写真なんてすっかり諦めていた。過去はもう捨てた。未来を見つめて生きようと思っていたが、
目の前にあるとやっぱり惜しい。アルバムが欲しいな。

午後はいつものようにリハビリ。午後1時30分につなぎ温泉病院行のマイクロバスが出る。

今日も自転車から始める。レベル5まで負荷が上がった。
これを10分。結構きつい。
その後マッサージをたっぷりと1時間。筋力トレーニングや立ち座り運動など。

楽しいよ。正座はなかなか難しいな。しゃがむのもかなりの負担。これがスイスイできるようになれば通院は終了かな。3Lのスウェットだからダボダボ。上下合わせてサイズがこれしか残ってなかった。パジャマと兼用。すごく役に立つ。一日中ほぼこの格好。  


Posted by タンゴダンサー at 18:52Comments(1)愛真館

2011年06月01日

今日から6月

6月1日
今日から6月。今年初売りあったんだっけ?仕事をしてたのはもう遠い昔のことのよう。
膝は順調。階段の上り下りも大分自然になりました。

震災以来、最初は苦しいことも多かったけど、今は少しずつ治っていくのが楽しい。
これもすべて国や周りの人たちのおかげです。
思い起こせば、震災当日の夜に病院に運ばれて以来、ずっと国のお世話になりっぱなしでした。

今日に至るまでずっと医療費は免除。今後も免除。
こんな立派なホテルに泊めてもらい、食費も滞在費も一切かからず、おまけに亡くなった親類には見舞金、漁業が出来なくなった親類には船まで買ってもらって、さらに今後の生活支援のための義捐金まで頂けるというのだから、なんという有難いことでしょう。

かつて、ダム反対運動に参加していた時、治水に不安があるならば、不安が無い場所に引っ越せばいい、というのが俺の持論で、それは今も変わらない。
『自然災害から身を守るのは自分であって国ではない。』

今回だって、防災対策を全く取っていなかったのは自治体の責任だとしても、そこに住んだのは自分の意志で、だれからも強制されたわけでなく、自分でその場所が最適だと判断して住んだのだ。
自分に防災の観念があれば、たとえ、市が安全だと主張したとしても、こんな海抜と高さの同じ場所に住んだだろうか?この場所を選んだのは明らかに自分に非があり、その場所を選んだことによる恩恵も十分にあった。

と、するならば、その場所を選んだことのリスクも当然自身で受け止めるべきであって、これは国や自治体の責任だとは言えない。丸裸でガレキの中に投げ出されたって何も文句は言えない。世界200か国のうち大半がそうだろう。

それにもかかわらず、これだけの補償をしてくれる国は世界でもわずかに数えるほどだろう。今回、大震災という貴重な体験したときにたまたま日本に住んでいて、さらに、そういう有難い国に住んでいたことは幸運だったとしか言いようがない。そして今回すべてをなくしてしまった俺は、この援助がはたして正しいのか、日ごろの主張と反するではないか、という自問自答をしながらこの援助にすがらざるを得ない。

今回のことをしっかりと今後の教訓として、それを風化させずに伝えていくことでしっかりと恩返しをしたい。  


Posted by タンゴダンサー at 20:32Comments(0)愛真館