2011年04月20日
ヤマダ電気 4月14日
4月14日
最初、被災者受け入れに乗り気だった四季亭は何故か尻込みし、鴬宿(おうしゅく)の長栄館はパソコンが使えないから諦め、第3希望のつなぎの愛真館に決まった。
移動手段がない我々は、つなぎに移ってしまえばなかなか商店街には出て来られないので、前日に1日外出許可をもらい、まずは、銀行に行って流されてしまった通帳を回復し、ドコモに行って携帯をもらい、妹から救援物資でもらった服をリサイクルショップに売って金に換え、ヤマダ電機にパソコンを買いに行った。すべての手続きに思いのほか時間がかかり、病院に帰って来たのは予定時刻を1時間近く過ぎた、夜の7時。
震災から1カ月が経とうとしているが、陸前高田は依然として市役所が機能しておらず、罹災証明の発行もいつになることやら。これでは義捐金もあてには出来まい。たまたま近くに残っていた材料で36戸の仮設住宅を建てた以外はほとんど何も進んでいない。住民台帳の基本データも流されてしまったというし、バックアップも残っているんだかどうだか。
なるべくなら行政に頼りたくはないが、もらえるものはすべて頂きたい。
最初、被災者受け入れに乗り気だった四季亭は何故か尻込みし、鴬宿(おうしゅく)の長栄館はパソコンが使えないから諦め、第3希望のつなぎの愛真館に決まった。
移動手段がない我々は、つなぎに移ってしまえばなかなか商店街には出て来られないので、前日に1日外出許可をもらい、まずは、銀行に行って流されてしまった通帳を回復し、ドコモに行って携帯をもらい、妹から救援物資でもらった服をリサイクルショップに売って金に換え、ヤマダ電機にパソコンを買いに行った。すべての手続きに思いのほか時間がかかり、病院に帰って来たのは予定時刻を1時間近く過ぎた、夜の7時。
震災から1カ月が経とうとしているが、陸前高田は依然として市役所が機能しておらず、罹災証明の発行もいつになることやら。これでは義捐金もあてには出来まい。たまたま近くに残っていた材料で36戸の仮設住宅を建てた以外はほとんど何も進んでいない。住民台帳の基本データも流されてしまったというし、バックアップも残っているんだかどうだか。
なるべくなら行政に頼りたくはないが、もらえるものはすべて頂きたい。