2011年04月20日

避難所申請 4月10日

4月10日
東京で翻訳業をしている鈴木元が、大船渡の実家に帰る途中で寄ってくれた。連絡の取れない俺の為にわざわざパソコンを持ってきてくた。昨年の夏に友人に勧められて始めたFACEBOOKから、すでに離れられない体になっていて、震災後もFACEBOOKを更新できないことが何よりも気がかりだった。

予想通り、多くの友人が安否を気遣ってくれていて、さらには、今まで何十年も連絡のなかった友人まで心配して探してくれていた。そのそれぞれに、「心配有難う。生きている。」とだけ簡単に連絡を返した。

意外だったのは、大船渡病院に居た時に受けた『オーストラリア新聞』と『ECONOMIST』のインタヴュー。こんなの受けても見る人居ないよなー、と思いながらも、暇つぶしと気分転換のつもりで受けたのだが、これが意外や意外。結構見ている人多かったね。特に震災発生直後の段階の生存確認はこれによって広まったところが大きい。あとでインタヴュアーのお礼を言っとかなきゃ。
避難所申請 4月10日

そろそろ退院後のことも考えなければならず、のっこは一人で盛岡市役所に申請に行った。第1希望は四季亭、第2希望は長栄館、第3希望が愛真館といった感じ。単にお風呂の好みで選んだ。


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Posted by タンゴダンサー at 10:20│Comments(0)松園第2病院
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