2011年04月20日

3月27日

この病室から見える朝の岩手山の景色が実に美しい。
朝食後ロビーに出ていつもの様にぼぉーっとテレビを見ていたら、公衆電話を使って話している人が居る。
「それ使えるんですか?」と聞いたら、何を言ってるんだろうこの人は、というような顔。
「使えますよ。お金も受話器を戻すと戻ってきますよ。」
えーーー!!
こりゃいかん!「のっこ電話かけるぞ!」
まず兄に、妹に、鹿児島の姉に、次に元従業員に、そして元従業員から知っている限りのお客さんの番号を聞き出し、一軒一軒掛ける。次に陸前高田の仮市庁舎に連絡して、罹災証明や今後の補償の見込みなどを聞きながら、ここでも情報を入手。市役所職員のうち3分の1が亡くなった。生き残った中にもお亡くなりになられた方にも友人やお客さんが沢山いる。

そうして、自分が生きていることをなるべく多くの人に知らせる自分回復の作業は、岩手日報の記者をやっている後輩に連絡が取れたことから急ピッチに進んだ。


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Posted by タンゴダンサー at 08:44│Comments(0)松園第2病院
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3月27日
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