スイミング
足先からゆっくりと黒い水の中に入れる。障害物を避けて岸までの最短コースをイメージする。
首まで入った。防寒着がまだ空気を含んで浮力を保っているうちに急いで、ゆっくりと水の中を進む。
よし、順調だ。
それほど苦難無く。陸にたどり着いた。助かった。死なずに済んだ。
感動に浸っている間はない。水を抜けるとずっしりと体が重い。足はかなりヤバイようだ。
靴は片足しかない。濡れた靴下が泥の上で気持ち悪いが、危険で裸足にはなれない。
鋭くとがった材木やトタン屋根、むき出しの釘。
この山を登れば高田一中の避難所だろう。しかし、瓦礫の山が進路を阻む。進んでは戻り、進んでは戻り、瓦礫の上に登れば周辺の状況がいくらか把握出来ようが、むき出しの釘が怖い。右ひざが痛い。左足は重い。いつの間にか、さっきまで居た、探し物をしていた人々の姿が消えていた。
ほかの場所を探しに行ったのか?
足が痛くてきつい。この場で救助を待つか?
いや、この場も安全ではない。救助もあてには出来ない。何とか山を登ろう。
最初こそ獣道があったが、すぐにイバラの藪漕ぎとなった。
これが命にかかわることのない、渓流釣りならすぐに断念している。
人生で最難関の藪漕ぎ。その先にあるのはトラウト天国ではなく、命の保証。
しかし、全く進めない。傾斜が急な上に、イバラがきつくて。呼吸を整えながら進路を探す。
上のほうで人の声が聞こえた。
もう、一息だ。頑張れ!俺!
イバラの塊を慎重に束ねて避けながらフードをかぶった頭から押し込む。慌てなくていい。もう、お前は助かった。あとはなるべくケガはするな。
頂上が見えてきた。あと、20m。人の話し声が大きくなった。5人、いや10人。
「頑張れー!あと少しー!」
これは自分の声ではなく、上からの声。
なんだ、励ましてくれる人も居るじゃないか。あと、10m。
人の影が見えてきた。
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